歴史・沿革

ピアックスの誕生秘話や歴史をお伝えします

ピアックスの歴史

会社の成り立ち

ピアノの指導者や音大生など上級者からの評価が高いピアノ、DIAPASON(ディアパソン)。そのピアノを手掛けたのが現在のヤマハの基礎を作ったと言われている「大橋幡岩(おおはし はたいわ)[1896~1980]」です。その人に惚れ込んで一緒にディアパソンピアノブランドを確立したのが、当時資産家であった浜松楽器工業株式会社 設立者「馬渕真蔵」です。

その昔、DIAPASON(ディアパソン)は、浜松楽器工業株式会社が製造販売していました。大橋幡岩がピアノの原理原則を理解し尽くした観点から『理想のピアノ』を追い求め、ヨーロッパの一流楽器製作会社の方針と同じように量産体制をとらない『理想のピアノ』を作り上げました。しかし、時代に合わず経営難に陥ります。そこに追い打ちをかけるように不慮の死が「馬渕真蔵」を襲ったのです。会社の窮地を救うため、役員として勤めていた馬渕の弟である弊社先々代社長の小原七郎(旧姓:馬渕)が、経営を引き継ごうとしました。しかし、浜松楽器工業の全従業員を引き継ぐだけの資産がなく、やむなく断念したそうです。

創業者小原七郎

創業者 小原七郎

1986年に、某大手楽器メーカーが「ディアパソン」ブランドの営業権譲渡を受け、株式会社ディアパソンを設立しました。株式会社ディアパソンは現在、某大手楽器メーカーに吸収合併されましたが、ブランド名は残り生産は続いています。浜松楽器工業でディアパソンのピアノ鏡面仕上げをしていた技術者の長谷川氏と小原七郎が共同で立ち上げたのが株式会社ピアックスの前身である「長原美工(長谷川+小原)」になります。

大手ピアノメーカー下請け時代

初代の社長から現会長が仕事を引き継ぎ、ピアノの塗装下請けをしていた頃は、従業員が18名ほどいました。当時は従業員の人数分のピアノ台数が1日で仕上がれば生産性が高い会社と言われていたようですが、ピアックスは製造工程や機械を工夫することによって、日産20台の塗装ができていたそうです。浜松のピアノ産業界では一番仕事が速いと言われていたようです。

沿革

1963年3月

会社成立。 創業後、テレビケース(木製)・オルガンの塗装を経て、約30年間、某大手ピアノメーカー・中小ピアノメーカーなどの下請けとしてピアノ産業に携わる

1989年

「長原美工株式会社」から現在の「株式会社ピアックス」へピアノの塗装で培った技術を未来のエックスへ広げていこうという想いのもと社名変更

2005年

ピアノ産業から完全撤退。高級ピアノに塗装される鏡面仕上げの技術を活かし、特注家具やインテリア・パネル、システムキッチンの塗装を手がける

2008年

「写真絵画いれ込み塗装仕上げのピアノ板」にする技術にて、実用新案を考案

2012年

静岡県より「ピアノ鏡面仕上げ技術を活用した高級インテリア商品の開発・販売」にて経営革新計画の承認を得る

2013年

いわしん・がんばる起業応援ネットワーク(静岡産業大学、静岡理工科大学、静岡文化芸術大学、袋井商工会議所、磐田商工会議所および磐田信用金庫)が主催するビジネスコンテスト、平成25年「第12回 ビジネスコンテスト」最優秀賞受賞

浜松市より、地域の優れた技術の維持継承と、次世代産業を担う人材の育成を目的として、代表取締役小原敏夫が「浜松ものづくりマイスター」に認定される

2016年

代表者変更 「小原敏夫 代表取締役会長に就任」 「小原林太郎 代表取締役社長に就任」

自社商品 木製花器「きゅうと」発売開始

静岡県より、「新たな鏡面仕上げ技術を活用した雑貨の開発・販売」(商経第185号)にて経営革新計画(平成28年2月~平成33年1月)の承認を得る

TRINUS×日経テクノロジーオンライン「第1回 ユニーク素材・加工技術コンテスト」優秀賞受賞

2017年

静岡県より、「デザイン性の高い多種多様な形状に対応する新たな治具の開発と事業化」(商経第333号)にて経営革新計画(平成28年2月~平成33年1月)の承認を得る

関東経済産業局より、「経営力向上計画」(2017関経向申第4468号)に係る認定をされる

2018年

電源不要の木製スマホスピーカー&スタンド「COAT&ECHO」発売開始

2021年

任期満了に伴い、小原敏夫が代表取締役を退任

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